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何もできなかった専業主婦がニューヨークで起業。「心の豊かさ」がビジネスの原点に

2021.09.15

2021.09.15

何もできなかった専業主婦がニューヨークで起業。「心の豊かさ」がビジネスの原点に

私は今、アメリカ・ニューヨークに自分の会社を持ち、アートの販売や自社商品の開発を手がけている。でも、それまでは平凡な専業主婦だった。特別なスキルもなければ、突出した才能もない。転機は30代のとき突然訪れた、夫との死別。それからはパニック障害に苦しみながら、幼い子どもたちを守るために試行錯誤してきた。失敗も多かったが、だからこそ誰かが新たな一歩を踏み出すときの励みになるかもしれない。そんな気持ちからこれまでの軌跡を振り返ってみた。

夫の死で一家の大黒柱に。頼まれた仕事の現場は「中国の工場」だった

私は30代のときに夫を亡くした。子どもたちはまだ小学生で、手のかかる時期。それまではずっと専業主婦だったが、打って変わって朝から次の日の朝まで働きづめの生活がはじまった。夫を亡くしたショックと慣れない生活へのストレスから、パニック障害にも悩まされた。心療内科に通い続け薬を飲みながら、仕事と家事で息つく暇もない日々。不安に飲み込まれそうになると、ジョギングに出かけて気持ちを紛らわせていた。周囲からは心配されたが、仕事を減らすことはできなかった。母子家庭だからといって、子どもたちにかわいそうな思いはさせたくない――。その思いが何よりも強かったからだ。

そんなある日、知人の紹介で新しいビジネスの話をいただいた。日本の会社から依頼を受けて中国などの外国で商品を作り、納品するという仕事だ。私は当時、海外生活が長かったわけでも、語学が堪能なわけでもなかった。ふつうに考えれば「私では力不足ですので……」とお断りするところかもしれない。しかし、何もできないのに一家の大黒柱になってしまった私には、せっかくのご依頼をお断りするという選択肢はなかった。これは何かのチャンスだ、やってみよう。そう決めた。

まずは、お客様を見つけるための営業からはじめた。「経験もスキルもないです。ただ、一生懸命やります!」行く先行く先で、私はそう言って頭を下げた。何度となく門前払いを経験し、あきらめそうになったときのことだ。まっすぐ目を見て商談をしてくれたのは、ある有名企業の経営者だった。商品のサンプルである洋服を手に取りながら、彼はこう言った。

「これを今より安く仕上げてくれるなら、君に注文を出しましょう」

「ありがとうございます!」……感激のあまり、うわずった声でそう答えるのが精いっぱいだった。しかし、いつまでもよろこびに浸ってばかりはいられない。注文を受けるためには、この洋服を作ってくれる工場を探さなければならないのだ。候補に上がったのは、中国の工場だった。中国語なんてまったく話せないが、尻込みしている場合ではない。すぐに中国へ飛び、身ぶり手ぶりで工場の担当者に商品の詳細を伝えた。工場から「なんとか商品化できそうだ」という返事をもらうと、お客様から正式にオーダーをいただき、私の初仕事がはじまった。

オーダーは生地の色染めからデザイン、サンプルの制作、量産、検品まで行う大がかりなものだった。ミシン縫いをするのは、現地の子どもたち。私も中国工場に出向き、作業を見守っていた。

始めての経験の連続で戸惑うことも多くあった。そのうえ衛生面の配慮が行き届いているとはいえない環境で、トイレはバケツで水を汲み、流しながら使うという有様。あまりの過酷さに、何度隠れて泣いたかわからない。

それでも必死に作業を進め、無事商品を納品することができた。終わってみればつらかったことも忘れ、すがすがしい気分だった。あれ、私って意外とやればできるじゃん。「自分は何もできない」と思っていた私に、小さな自信が芽生えた瞬間だった。

何もできなかった専業主婦がニューヨークで起業。アートにワイン、長年の趣味が事業として花開いた

少し前向きになれた私だったが、主人を亡くしたショックから立ち直りきれていなかった。彼が学生時代から滞在していたニューヨークを訪れては、その面影を追っていた。もともと芸術鑑賞が趣味だった私。ソーホーの街を歩きながら、気まぐれにギャラリーを巡るのがお決まりのコースだった。気に入ったアートを見つけると時間も忘れて見入り、しばしば購入してコレクションに加えていた。

「ニューヨークって素敵なところね。いつかここで仕事ができたらいいのに」

私が思わずそう口にすると、その場にいた現地の女性が間髪入れず「それなら会社を作ったら?」と言った。驚いた顔で「えっ、そんなことできるんですか?」という私に、彼女は「できるよ」とこともなげに言う。それから少しして、私は本当にニューヨークに会社を設立してしまった。こういうきっかけがなければ、会社設立を考えることもなかっただろう。“言霊”なんてよく言うが、夢を言葉にして発することの大切さを実感した出来事だった。

とはいえ、見切り発車で起ち上げた会社だ。どんな事業を展開するかも決まっていなかったが、やはりアートに特化したビジネスをはじめることにした。キュレーター(博物館や美術館で資料の鑑定や研究などを行う専門職)になるのが夢のひとつだったし、アートを見ているときに感じる心の華やぎを、もっとたくさんの人に体験して欲しかったからだ。

幸いなことに、ギャラリー巡りを通してアートを仕入れるルートもたくさん持っていた。私はすぐにアーティストと連絡を取り、何度も会いにいって熱意を伝えた。それから7年の年月を経て、晴れて独占販売権を獲得。アーティストが展開するブランドの代理店となり、そのすばらしさを日本に広めている。

屋内, 天井, テーブル, 窓 が含まれている画像

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忙しい日々の中でも、心の豊かさを忘れないでいるためのお手伝いがしたい。そんな思いは強くなっていくばかりだった。私にとってアートと同じくらい心を潤してくれるのが、気心知れた人たちとバーでグラスを交わす時間だった。ワインバーをはじめたのは、そんなあたたかい空気が流れる場所をつくりたいという思いからだった。とはいえ、バーの経営の仕方なんてまったくわからない。1日10軒ものバーを巡り、サービスの研究を始めた。

最初は冷やかし半分に着いてきた友人たちも、スケジュールのハードさに次第に来てくれなくなった。それでも1軒1杯ずつ飲んで次のお店へ行く、というのを1人で続けた。そんな飲み方をする客はめずらしかったのだろう、スタッフやお客さんにも覚えられ、仲良くなっていった。巡ったお店が200軒に達する頃には、お店づくりのアイデアがずいぶんと固まっていた。バー巡りで知り合ったかわいい女の子をスカウトし、スタッフも揃っていた。

カクテルの作り方も料理も0からはじめて、記念すべきオープンの日を迎えられた。お店はお客様に恵まれ、連日盛況。手狭になったため、オープンから4年あまりで北新地への移転も経験した。音楽好きのお客様が店先で演奏をはじめたり、使わないピアノをお譲りいただいたことをきっかけに、お店はワインバーからミュージックバーへと進化。ライブが毎晩の恒例となり、国内外のミュージシャンステージを彩った。バー経営はわからないことだらけで、常に走り続けていた。走りながら学び、ときには軌道修正をしながらまた走り、気づけば15年が経っていた。その後、経営方針の変化によってバーを閉店したが、当時の記憶は今でも色濃く残っている。

真の美しさとは心の豊かさ。その人らしく、内面から輝く女性たちを応援したい

最近力を入れているのは、アロマをベースにした自社商品の企画・開発だ。きっかけは、自分で自分を癒すセルフケアの大切さを実感したこと。ストレスフルな社会にあっても心豊かにいるためには、セルフケアが必要だと感じたのだ。なかでも私が注目したのは、病気まではいかない心身の不調をケアできるという、メディカルアロマだった。

メディカルアロマについて学べるという学校を見つけると、翌週には説明会に参加していた。講師の方々のお話はとても興味深く、その後すぐに入学を決意。アロマの基礎知識からはじまり、解剖学や心理学まで勉強の幅は非常に広い。その結果生まれたのが、アロマの癒し効果をあわせもつオリジナルの除菌スプレー「MIRACULOUS HERBAL ESSENCE」。数ある精油のなかでも香り高いと言われるベルギー産の純正アロマ100%にこだわった。

たくさんの人の心を豊かにしたい。私のビジネスはすべて、そんな思いからはじまっている。女性は特に、美しくなりたいという気持ちの強い人が多いだろう。でも「美しいって、そもそもどういうこと?」と聞かれると、答えに詰まってしまうのではないだろうか。美しさの定義に万国共通の答えなんてないのだから、当然といえば当然だ。

私が考える美しさとは、やはり心の豊かさだ。キレイなものを見て「キレイだな」と感じられる心。それを生きる力にできる素直さ。人との出会いを喜び自分とは違う価値観をすばらしいと思える余裕。逆境にある人を思いやり、自分のことのように悲しむやさしさ。そういう内面の豊かさがその人の生きざまを作り、やがては見た目にも現れてくるのだと信じている。

そのためには自分を大切にし、日常的に癒してあげることも大切だ。生きていれば、辛いことや悲しいこと、大変なこともある。でも、自分で自分を癒せれば、逆境のときにも心のバランスを保つことができるだろう。人を思いやれるのも、自分自身がしあわせであればこそだ。未知のことにどんどんチャレンジしていくアグレッシブさを持ちながらも、ゆったりとした癒しや自分の心と向き合う時間も大事にする。それが、その人らしい美しさを引き出すコツなのだ。

私の冒険はまだまだ道半ばだ。これからの夢は、ニューヨークで世界中の人がつながるアートとファッションのコラボレーションイベント「RUNWAY! NEW PROJECT」を開催すること。「MIRACULOUS SALON」は、いまやアートや自社商品の販売からイベント・セミナーの開催まで幅広い活動の拠点となっているが、こちらもさらなる可能性を探っていきたいと思っている。これが、平凡な専業主婦だった私の決死の冒険記だ。成功の秘訣は「あきらめないこと」ただひとつ。この記事が、あなたの新しい一歩を後押ししてくれることを願っている。未知へのチャレンジは人をより高め、美しくしていくものだから。Life is miraculous!

著者紹介

山崎クリスティ由美子 Yumiko Christie Yamasaki ● MIRACULOUS SALON代表/美とアートのキュレーター。夫との死別をきっかけに、30代で起業。「MIRACULOUS SALON」を拠点としてアートの販売や自社商品の開発を行う傍ら、ウォーキング講師・ライフプロデューサーとして女性が輝くためのサポートを行う。会員も募集中。公式サイトではオリジナルグッズの販売も好評を博している。現在、世界中の人が繋がるアートとファッションのコラボレーションイベント「RUNWAY!NEW PROJECT」を企画中。プライベートでは2人の男の子の母。すべての人がその人らしく、心豊かに暮らせる社会の実現を目指している。

編集協力/株式会社Tokyo Edit

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