Intelligence

バブルの勢いで起業した私が 30年近く会社を続けられた「2つの理由」

2021.08.23

2021.09.17

バブルの勢いで起業した私が 30年近く会社を続けられた「2つの理由」

起業して女性経営者になるような人は、常に仕事優先で男性顔負けに気が強いんだろう――。そんなイメージはもう古いと言わざるを得ない。IT技術が進歩し、少ない資金で起業できる今は、誰もが気軽に経営者になれる時代なのだ。実際に私はバブル期に勢いで起業し、不況の憂き目に遭いながらも30年近く事業を続けてきた。天才的な事業展開力や突出したカリスマ性があるわけでもないのに、だ。この記事ではその理由を自分なりに分析してみた。

資金なし、事業計画なし。勢いで起業した会社がバブル崩壊で大ピンチ

起業は清水の舞台から飛び降りる決心でするもの、と思われるだろうか。私はといえば、そんなイメージとは真逆を行くように、実に軽い気持ちで起業してしまった。起業前の私は新聞社に勤務し、紙面に掲載する広告の仲介を担当していた。そんなある日、取引先のある人から「広告の仲介なら個人でもできるよ」と勧められたのだ。

やってみたい! そう思った次の瞬間、私は起業を決めていた。しかし当時の私は20代後半、まとまった事業資金などあるはずもない。あるのは勢いと「やってみたい!」という気持ちだけ。起業家のほとんどがするように、会社の設立手続きを司法書士に依頼することもできなかった。慣れないなか自分で作った法務局への提出書類は不備だらけで、登記をするのもひと苦労というありさまだった。

かくして私は女性経営者となった。事業は引き続き、新聞広告の仲介に決めた。勢いでした起業、しっかりとした事業計画はもちろんない。しかし世はバブル真っ只中で、誰もが簡単に稼げる時代。会社員時代の人脈にも助けられ、事業は順調なすべり出しだった。

そんな私の出鼻を挫く出来事が発生する。起業して間もなく、バブルが弾けたのだ。日本は一気に不況に陥り、企業もバタバタと倒産していった。その中には、私に起業を勧めてくれた取引先も含まれていた。ショックだったが、小さいながらもひとつの会社の経営者となった今、落ち込んでいる暇はない。なんとか生き残るためにはどうすればいいのだろう――。そう考えていたときに、またとある取引先から声がかかった。

「雑誌広告の仲介はできませんか?」……以前から新聞広告のみを扱うことに限界を感じていた私にとって、渡りに舟だった。インターネットが普及していなかった当時、雑誌の需要はまだまだ多かった。これ以上ないタイミングで新しい事業の軸を手に入れたことで、私はバブル崩壊というピンチを乗り切ることができたのだ。

突如舞い込んだホームページ制作の依頼。誠心誠意の対応で「第三の事業軸」に

それから少しして、本格的なインターネット時代がやってきた。パソコンの普及とともに、新聞と雑誌の勢いが少しずつ落ち着いてきていた。また新しい事業の種まきが必要かもしれない――。そう考えはじめていた矢先のことだった。ホームページの作成依頼が舞い込んできたのだ。多くの企業や店舗がホームページを持っていなかった当時、他に先駆けてそれを作ることは一種のステータスだった。メディア関連の事業を展開しているうちの会社なら対応してくれるかもしれない、と思われたのだろう。

しかし、新聞と雑誌の広告仲介をしていたうちの会社は、当然ながらホームページを作ったことがなかった。制作に必要な知識や技術もなければ、どのくらいの時間や費用がかかるのかもわからない。「恐縮ながら、弊社ではお受けいたしかねます」……そう答えようとしたときだ。自分の周りには優秀な起業家がたくさんいることに気がついた。

私にはホームページが作れないのなら、作れる人を紹介すればいい。私は依頼者と、以前からの知り合いが経営するホームページ制作会社とをつなぐことにした。これが、第3の軸であるホームページ作成代理店事業のはじまりだった。それからは会社案内や各種パンフレットなど、時代の流れとともに変わるお客様のニーズに応えつづけ、30年近くの時が経っていた。

自分のステージは自分でつくる時代。起業して生き残るために必要な「2つの要素」とは

勢いだけで起ち上げた私の会社は、なぜ今まで生き残ることができたのだろうか。腕一本で会社を育てたカリスマ経営者は話題になるが、私は断じてその類ではない。30年という年月を、運のよさだけでしのげるはずもないだろう。自分なりにこの30年を振り返り、分析した結果、2つの理由にたどり着いた。ひとつは「人とのつながり(縁)を大切にしてきたから」、もうひとつは「チャンスを逃さずつかんだから」だ。

もうダメかもしれないというピンチに陥るたびに、誰かが私に手を差し伸べてくれたのだ。それは周りの人に恵まれていたということもあるが、私がふだんから人とのつながりを大切にしていたからでもあると思っている。人が誰かを頼るのは「この人ならどうにかしてくれるのではないか」と思うからだ。それがうれしくて、依頼があればなんとか対応しようとしてきた。そういう一生懸命さが伝わって、時が経つうちに「何かのときには助けてあげよう」という人が増えていたのだと思う。

めぐってきたチャンスを逃さずつかむことも、同じくらい大切だ。当然だと思うかもしれないが、そうしない人は意外なほど多い。目の前にチャンスがあるのに「育児が落ち着いたら」「もう少し準備してから」などと理由をつけて、みすみす逃してしまうのだ。その人たちは、新しいことを始めるのに漠然とした不安や恐怖があるのだろう。私にはそういう恐怖心が欠如しているのか、起業するときも「きっと成功するだろう」というワクワクが気持ちの大半を占めていた。そういう気質は時として大きな失敗を引き起こす原因にもなるが、私の場合は今のところ、いい方向に作用しているということなのだと思う。

周りの人を大切にし、チャンスを逃さずにいれば、あなただって女性経営者になれるのだ。莫大な資金も、飛びぬけた才能もいらない。必要なのは、一歩を踏み出すための少しばかりの勇気と勢いだけ。自分が活躍するステージは、自分でつくる時代になったのだ。

起業すると事業に関する全責任を自分で負うことになるが、それだけに社会に貢献している実感は大きい。何事も自分で選び、納得感をもって決められることで、自己肯定感も高くなるだろう。自由に人生を謳歌できる。「私なんて」と尻込みしている人は、まずは自分自身の価値を認めるところから始めてみてほしい。あなたの中には、誰かの役に立てる力を持つ原石が眠っているのだ。その原石は、陽の光のもとで磨かれる日を待っている。

著者紹介

福本貴子 Takako Fukumoto ● 1961年大阪生まれ。株式会社Office JOY 代表取締役。広告代理店として起業し、今年で28年目を迎える。会社経営のかたわらボランティア活動に従事し、世界の教育格差をなくすことを目標としている。モットーは「常にポジティブ」「人生前進あるのみ」。

編集協力/株式会社Tokyo Edit

3,095 view

COLUMNIST

福本 貴子