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約30年間専業主婦、肩書きなし。 何もなかった私が「ひとり海外旅行」にハマって人生一変するまで

2021.08.23

2021.08.13

約30年間専業主婦、肩書きなし。 何もなかった私が「ひとり海外旅行」にハマって人生一変するまで

私は名刺を持ったことがない。短大卒業後すぐに結婚し、それから50歳になるまでずっと専業主婦だったのだ。この30年ほどは夫のサポートに忙しく、そんな生活をしあわせに感じてもいた。しかし自己紹介を求められると、どうしようもなく戸惑ってしまう自分もいた。第三者から見れば、資格も肩書きもない私は「何にもしていない人」。いい加減、何かわかりやすく人に説明できるような経歴がほしくなった。この記事では、平凡な専業主婦の人生を振り返りながら、海外旅行を通して何者かになろうとする“あがき”の過程をお話ししたい。

専業主婦の私は「何もしていない人」?

子ども時代の私は比較的勉強ができるほうで、高校では道内でも指折りの進学校に進んだ。この高校は、誰もが知る有名人も多数輩出している名門。同級生も一様に優秀で、女性でも企業で重要なポストに就いて活躍したり、スキルや才能を生かして起業したりと、まぶしいような経歴を持つ人が多かった。そんな高校の同窓会が開かれるという知らせがあり、私も幹事として参加することにした。

会には上は90代の大先輩から、下は卒業したての大学生まで、幅広い年代の同窓生が参加していた。久しぶりの同級生とも顔を合わせた。想像どおり、肩書きをもってバリバリと働いている人ばかり。専業主婦しかしたことがない人なんて、私くらいなものだった。困ったのは、幹事として先輩方にご挨拶するときだ。私が名刺を持っていないことを詫びると、ある女性の先輩が驚いた顔で言った。

「えっ、あなた名刺を持っていないの。じゃあ、何をしているの?」

私は答えに窮した。ずっと夫を支えてきたんです、彼がそれなりの収入を得られる会社員になったのも、私の内助の功のおかげなんです……とは言えなかった。この場ではそういう回答が求められていないことが、痛いほどわかったからだ。何も悪いことはしていないのに、私はなんだか居心地が悪かった。私はもしかしたら、無能な人間なのだろうか。少なくとも、先輩方にはそう思われているのだろうか。キラキラと活躍している同級生も私も、高校生までは同じような境遇だったはずだ。それなのに、どこでこんなに差が出たんだろう。そう自分を責めたいような気持ちになった。

同窓会からの帰り道、私はグルグルと考えを巡らせていた。私は本当は、何がしたいのだろうか。同級生のAちゃんは、最近会社で出世したらしい。Bちゃんは重要なプロジェクトを任され、仕事にまい進しているという。でも、私はそういうふうになりたいとは思えなかった。心が動いたのは、ひんぱんに海外出張に行っているというCちゃんの話。ひとりで海外へ行ける自信と行動力がうらやましかった。幸い私は幼いころから英語が大好きで、叔母について海外旅行にも行っていた。夫の海外出張に同行したこともある。

英語が話せて、自由に海外旅行を楽しむ専業主婦。肩書きではないけど、これってちょっといいんじゃない? と思えた。英語を話して外国人の友だちをつくり、海外のカフェやレストランで気ままに食事をする。これからの自分を考えただけで、胸が踊った。

ソルトレイクシティ行きで得た行動力と自信

そう決めてまもなく、私に海外行きのチャンスがやってきた。アメリカ・ソルトレイクシティに用事がある友人が、仕事が多忙でなかなか現地に行けないと困っていたのだ。用事自体は、少し英語がわかればこなせる程度のもの。勇気を出して「よかったら、私が行きましょうか?」と聞いてみた。半分冗談、半分本気だった。友人は「お願いできる?」と即答。よく私に依頼したものだと驚いたが、よほど切羽詰まっていたのだろう。

そう決めたら話は早い。次の日さっそく、夫にソルトレイクシティ行きを相談した。「私ね、ひとりでアメリカに旅行に行ってこようと思うの」。すると彼もまた即答で「いいんじゃない?」。そのときの夫は仕事が忙しく、もしかしたらきちんと聞いていなかったのかもしれない。とにもかくにも、私のソルトレイクシティ行きは無事実現することとなった。

初めて降り立つソルトレイクシティは、赤土に囲まれた不思議な光景が印象的な場所だった。ひととおり用事を済ませると、ホテル近くのレストランを巡ったり、夜は現地の若者たちでにぎわうバーでお酒を飲んだりして、ひとり旅を満喫した。何よりうれしかったのが、1日じゅう英語が話せること。発音記号オタク、アルファベットオタクと言っても過言ではないほど英語じたいが好きな私にとっては、これ以上ないよろこびだった。ずっとここにいたい! 新しい場所に行くほど、ひとり海外旅行にハマっていく自分がいた。

それからは、ニューヨークにボストン、ヒューストン、サンディエゴ、アーバインからのロサンゼルス、ハワイ、ロンドンと、ひとり海外旅行の虜になった。非日常の中で、自分の力だけを頼りに1日1日を過ごしていく経験。それは私に、サバイバルのようなスリルと楽しさをもたらしてくれた。海外にいると、予想もしないトラブルに見舞われることは日常茶飯事だ。でもそれを解決していくたびに、自分はどこでも生きていける力を持っているんだという自信がわいてきた。

こうした自信が功を奏してか、あるフィリピン人CEOの社長秘書として働く機会を得たこともある。履歴書はもちろん真っ白だが、面接ではひとり海外旅行での経験を熱弁した。結果は採用。ひとりで海外に行く行動力や、幼いころから大好きだった英語が認められたような気がして、うれしかった。肩書きや経歴ではなく、私自身を見て評価してもらえた。心からそう感じられたのは、社会に出てはじめてのことだった。

肩書きよりも経歴よりも、「挑戦」に価値がある

ひとり海外旅行で得た自信は、私をさらなる挑戦に駆り立てた。まずはこれまで磨いてきた英語力を生かして、TOEICを受験。30年以上前受験生だったころを思い出して、ひたすら勉強に打ち込んだ。猛勉強のかいあって、目標だった900点に無事到達。今は英検1級の取得を目指して、さらに勉強を続けている。

勢いに乗りはじめた私は、英語以外のことにも挑戦してみたくなった。ふと思いついたのは、不動産だった。夫が転勤族だったせいで、引っ越しの回数は誰にも負けないほど多い。手続きなどは大変だったが、物件情報を見るのは大好きだった。ここに住んだらこんな生活をして、こんなインテリアにして……と妄想するのが、とても楽しかったのだ。英語が話せて、さらに不動産も扱える人になれたら。いつか海外との往来が再開したときには、日本で仕事をしたい外国人が物件を探すときのサポートができるかもしれない。よし、宅建士の資格を取ろう。そう考えて、不動産の勉強も積んでいる。

どこにでもいる専業主婦だった私が海外を旅して、英語や不動産の勉強まではじめる。数年前には想像したこともない未来だ。すべてのはじまりは、何者かになりたいという“あがき”だった。でもよく考えてみると、英語も不動産も、専業主婦だった30年ほどのあいだに好きになり、無意識のうちにコツコツと磨き続けていたものだった。私は「何もしていない人間」だと思っていたけれど、そうではなかったことに気がついた。これまで積み重ねられてきたものが、おそるおそる一歩を踏み出したことで、次々と花開きはじめたのだ。

今の生活に不満はないし、もう50歳だし。波風を立てるくらいなら、何もしないのが一番。そう思っていた私が、今はいろいろなことに挑戦している。そんな私を見た友人たちは「どうしたの?」「あなたはどこに向かっているの?」といぶかしむ。私はどこに向かっているのか、正直私もわからない。でも、少しずつでも何かを手にしはじめているという実感は確実にある。何歳からだって、新しい何かをはじめることはできるのだ。その挑戦の軌跡は、輝かしい肩書きよりも立派な経歴よりも、価値あるものになるだろう。

著者紹介

矢崎 朋子 Tomoko Yazaki ● 1970年札幌生まれ。夫と二人暮らしの専業主婦。夫の仕事の都合で3年おき、8度の引っ越しを経験。50歳になって一念発起し、TOEIC900を取得。現在は英検1級、宅建士取得に向けて勉強を積んでいる。「好きなことしかやりたくない!」をモットーに、これからの人生をより充実させるべく奮闘中。

編集協力/株式会社Tokyo Edit

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COLUMNIST

矢崎 朋子