ことばってすばらしい。
お金は1円もかからない。
それなのに、人をとびっきりの笑顔にできるもの。
それがことばだ。
誰かに言われたひと言が、涙するほどうれしかったこと。
誰しも経験があるのではないだろうか。
でもことばは、使い方が難しいものでもある。
最近はSNSでの誹謗中傷がニュースになっているように
使い方を間違えると、誰かを悲しい気持ちにさせてしまう。
人の命さえ奪ってしまう、凶器にもなる。
そこまでいかなくても、発したことばが
思いもしないような受け取られ方をすることは日常茶飯事だ。
ことばは気持ちのすべてを伝えられない。
そのうえ、一度発したら元には戻せない。
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たとえば「かわいそう」ということば。
心に寄り添うような響きでありながら、
誰かを傷つけかねないことばだと思っている。
「かわいそう」には無意識の差別感情や
相手を自分よりみじめな人だと決めつける“上から目線”が感じられるからだ。
障害をもった子、病気の子。
命をかけてその子を産み、育てた母親。
みんなふつうの親子と同じように笑ったり、
悩んだりしながら日々を生きている。
それなのにある日突然、何も知らない人から「かわいそうね」と言われ、
“みじめな親子”にされてしまうのだ。
ことばの怖さはこういうところにある。
でもことばは、固く閉ざした心を開き誰かを救うこともある。
現在20歳を超えた息子は生まれつき身体が弱く、
小児病棟への長期入院もめずらしくなかった。
たえず誰かの手術が行われる、不安な毎日。
外にも出られず、学校の友だちにも会えない。
気持ちが不安定になり、心を閉ざす子も出てくる。
そんな状況のなかでも入院する子どもたちは、
たがいにことばをかけあいながら不安を乗り越えていた。
リハビリの時間になっても布団から出てこない子がいると、
そっと隣に座って声をかける。
「つまらんね、帰りたいね」
「うん」
「私だっていきたくないよ。
でも、いかないとお菓子食べれんしね」
そう言うと2人は手を取り合ってリハビリ室へと向かっていった。
大人みたいに「いきなさい」とは言わない。
ただただ気持ちに寄り添って、
いっしょにお菓子が食べたいからがんばろうと言ってくれた。
そのまっすぐな気持ちが、固く閉ざされた子どもの心を開いたのだろう。
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ことばって本当に不確かなものだ。
同じことばでも
発する人や受け取る人の置かれた状況や価値観、
バックグラウンドによって
プラスにもマイナスにもなる。
自分の意図通りに受け取ってもらえる保証もない。
心に余裕がないと、いいことも悪いように受け止めてしまったり
ついついいじわるな返し方をしてしまうこともあるのが人間だ。
ことばで傷つくことや、傷つけてしまうことは避けられない。
それでも私たちはわかり合いたい、寄り添いたいと
ことばを交わし、
また誰かをよろこばせたり、傷つけたりをくり返していく。
ひとつできることがあるとしたら、
そんなことばの不確かさを認めることかもしれない。
誰かのことばに傷ついたら、
自分も同じように誰かを傷つけることのないよう
思いやりをもってことばを見直す。
思いもよらない行き違いが起きたら、
相手の立場に立って気持ちを推しはかり
誠意をもってことばを尽くす。
そういう姿勢でいれば、年を重ねるごとに
「この人を笑顔にするにはこのことば」という
“ことば選びのセンス”が磨かれていくはずだ。
これからも生きているかぎり、
ことばによって誰かを傷つけたり
傷つけられたりするだろう。
でも私は、ことばを通じて大切な人と触れ合うことをあきらめたくはない。
ことばは本来、誰かをしあわせにするためにあるのだから。
著者紹介
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曽根順子 Junko Sone ● 1970年12月18日生まれ、大阪府出身。23歳で結婚し、2人の息子に恵まれる。現在は夫とともに会社を経営するかたわら、インスタグラム での商品PRも行う。趣味はゴルフ。
編集協力/株式会社Tokyo Edit