Travel

旅して私は、私になった。 “自然体の美しさ”を教えてくれたグアム・バルセロナ・セブの出会い

2021.08.02

2021.08.03

旅して私は、私になった。 “自然体の美しさ”を教えてくれたグアム・バルセロナ・セブの出会い

生きる自信も、気力もなくなった――。そんなときは、海外旅行に行ってみるのはどうだろうか。留学でも、短期の旅行でもいい。住み慣れた日本から出ることでこれまでの“あたりまえ”から離れ、悩みやモヤモヤを根本からリセットしてしまえるからだ。私自身ももうダメだ、と思うたびに海外に行き、救われてきた。この記事では、なかでも特に印象深かったグアム、バルセロナ、そしてセブへの旅について振り返ってみた。

過食嘔吐に対人恐怖症。苦悩の20代を救ってくれたグアムの出会い

20歳のころ、私は心身ともに病んでいて、摂食障害で過食嘔吐を繰り返していた。大きなリバウンドがきて、2ヶ月で10キロ以上も太ったときのことだ。「あれ、太った?」「前はもっと細かったよね」……会う人会う人から、そう言われ続けた。

相手にとってはただの世間話だとわかっていても、人と接するのがイヤでイヤで仕方がなくなった。対人恐怖症だったと思う。常に背中を丸めてフードを目深にかぶり、話しかけられそうになると逃げるようにその場を立ち去る日々を送っていた。思い切り遠くに逃げて、何も考えずぼーっとしていたい。そんな思いが、日に日に強くなっていった。

そしてついに、私はその計画を決行する。1ヶ月の海外旅行に出たのだ。行き先はグアム。片道約3時間という気軽さに加え、温暖な気候がささくれた心を癒してくれるような気がしたからだ。グアムには、私のことを知っている人はひとりもいない。「太ったね」なんて、うっかり言われる心配もないわけだ。私にとっては、かなり大きな安心材料だった。「旅行中に痩せて、バカにしたヤツらを見返してやる!」……グアム行きの飛行機の中で、私はそう息巻いていた。

グアムは街に出るだけで、さまざまな人種と出会える国だ。先住民であるチャモロ人や、歴史の流れの中でこの地に根をおろしたアメリカ人やフィリピン人のほか、中国人や韓国人、日本人といったアジア人の居住者も多い。現地についてそう時間の経たないうちに、私は現地で出会った中国人や韓国人と仲良くなり、たびたび食事をするようになった。太ることが何よりイヤな私は、もちろん食事に手をつけない。友だちの1人は不思議に思ったのだろう、「なぜ食べないの?」と聞いてきた。

「日本では少しでも太ると後ろ指を差されるから、痩せて帰ろうと思っているの」

そう私が答えると、彼は心底驚いた顔をして「なんてこと言うんだよ!」と言った。 

「誰が何と言おうと、君はもう十分にチャーミングだよ。もっと自分を好きになろう。みんなで一緒に食べれば楽しいよ。カモン!」

あまりの衝撃に、私の口からは言葉も出なかった。ありふれたなぐさめの言葉かもしれない。でも、当時の私にとっては、喉から手が出るほどほしい言葉だったのだ。「そうか、私は私のままでいいんだ。太っていてもやせていても、楽しんで生きていいんだ」……彼の言葉を聞いて、私ははじめて自分を認めてあげることができた。それからは食事をするのが楽しくなり、10年という長い年月は要したが、悩みの種だった過食嘔吐も徐々に改善していった。

人生ドン底の30代。勢いのバルセロナ旅で得た、揺るがない自信

それから時は流れて、私は30代後半になっていた。仕事ではベビーシッターとして奔走しながらも、悩みが尽きない日々が続いた。プライベートでは8年ものあいだ交際していた男性から裏切られ、悲しい別れを経験。今まで積み上げてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れていくようだった。グアムへの旅をきっかけに形になりつつあった、自信や誇り、居場所、仕事。そのすべてを失った。

でも、10歳以上年を重ねた私は、以前より少しだけ打たれ強くなっていた。こんなどん底の状況も、プラスに考えられる心の余裕があったのだ。仕事も家も、愛する人も失ったけれど、私にはたくさんの時間と自由がある。今こそ冒険しよう、見たことのない地に行こう。そうだ、スペインだ! ……そう思った次の瞬間、私はスペイン・バルセロナ行きの航空チケットを買っていた。英語も話せなければ旅程も宿も決まっていないけれど、もう行くしかなかった。

行き当たりばったりのスペイン旅は案の定、困難をきわめた。なにしろ英語が話せないので、レストランで腹ごしらえしようにも肝心のオーダーができない。スペインに着いて4〜5日は、リアルに空腹でフラフラになっていた。ようやくなんとかオーダーできるようになっても、もたもたしているうちに店員がいなくなってしまったり、注文がうまく伝わらなかったりと食事だけでひと苦労だった。

そのうえホテルではなくAirB&Bを選んだものだから、大変だ。安さだけで選んだ1軒めの宿は、立地はいいものの、人が住むところとは思えない汚さだった。必死の思いで探した2軒めは、中国人の宿主が日本人嫌いときていた。

意を決して、私は彼女の近くまで行った。そして、翻訳機を使って身振り手振り、過去の国間の仲違いがあったけれど、私達はこれからは仲良く手を取り合っていけるようになりたいと言うことを必死で伝え、結果笑い合って話せるほど仲良くなれた。

異国で知らない人の家に泊まるなんて、冒険も冒険。私ってやればできるじゃん! 消えかけていた自信が少しよみがえった。あれだけ苦労していた食事のオーダーも、1週間が経つ頃にはすっかりお手の物だった。

自然体の自分を好きになれる。旅は自分の心と向き合うチャンス

国が違えば文化も国民性も違い、言葉もわからない。気軽に助けを求められる知り合いもいない。なんでも自分で解決しないとはじまらない環境だった。でも、だからこそ、自分はどんなことだって乗り越えられるという確信が持てたし、今ある悩みが小さいものに思えてきた。現地でできた友人は、今でも宝物だ。「私たちはファミリーだよ。いつでも帰っておいで、待ってるよ」……そう言ってくれる“家”が世界中にあるって、なんてしあわせなのだろうか。

その後4か月間語学留学で行ったセブでは、出会う人出会う人が「人生は短いんだよ、楽しまなきゃ!」と言って笑う。彼らは日本人の感覚ではちょっとずうずうしい、恥ずかしいと思うようなこともしてくるが、嫌味がなく明るいので、かえって清々しい。体裁よりも、自分の人生を楽しむことを大事にしているのだ。毎日の生活にストレスがないから、起こることをポジティブに受け止められるし、ナチュラルな自信がある。どんな体型でも、自分のしたいファッションを楽しんでいる姿は美しかった。

自分を大事にするのが当然。自己肯定感が強くポジティブで、自分の考えをはっきりと伝えることに躊躇がない。出会った人たちは、みんな人目や世間体を気にせず、人生を思い切り楽しんでいた。謙虚さや自己犠牲が美徳とされる社会で生き、本音と建前を日常的に使い分ける日本人とは、根本的に違うように感じた。

彼らと接するうちに、私自身も変わって行くのを感じた。どんなことにも「ありがとう」と、心から思えるようになったのだ。私には、辛く悲しいことも笑い飛ばして、前向きに楽しく生きていけるハートがある。海外旅行を通して、言いたいことをはっきり言える強さや、英語力も身につけた。すごいじゃん、私! 劣等感をもつ理由なんてどこにもない。自分を誇らしくさえ思えてきた。

次はどこへ行こう――そう考えるだけでも、胸が高鳴る。旅は新しい何かと出会うきっかけであると同時に、自分の内面と向き合う時間でもあると思う。実際に私は旅をすることで、本来の自分を取り戻すことができた。日本という国がどれだけすばらしいかも、たくさんの国に行き、他の国を体感したからこそ身に染みてわかるようになった。がんばっているのにモヤモヤが消えない。今の暮らしにどこか違和感がある。そんな人は一度、行ったことのない国を旅してみるのもいいと思う。旅の中で触れる人やモノ、文化、自然が、あなたのあるべき姿を教えてくれるだろう。

著者紹介

東 ゆり Yuri Higashi ● 1980年6月10日生まれ、北海道出身。保育士としてシッター活動や子ども食堂のボランティア活動を行うかたわら、美容師としてまつ毛エクステのスクールを地元・北海道で開催。その他メイクやタイ式マッサージから着付け、メンタルヘルスまで、心身の美しさについて幅広く学び、資格を取得。肩書きに縛られない自由なスタイルで活動する。趣味は旅行と読書、音楽・芸術品鑑賞。

編集協力/株式会社Tokyo Edit

902 view

COLUMNIST

東 ゆり